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最高裁判所第二小法廷 昭和56年(行ツ)124号 判決 1985年3月11日

上告人

春日勝司

右訴訟代理人弁護士

山本博

草島万三

秋山泰雄

安養寺龍彦

徳住賢治

大塚勝

葉山水樹

被上告人

新潟鉄道郵便局長 新保司

右当事者間の東京高等裁判所昭和五二年(行コ)第三五号懲戒処分取消請求事件について、同裁判所が昭和五六年三月三〇日言い渡した判決に対し、上告人から全部破棄を求める旨の上告の申立があった。よって、当裁判所は次のとおり判決する。

主文

本件上告を棄却する。

上告費用は上告人の負担とする。

理由

上告代理人山本博、同草島万三、同秋山泰雄、同安養寺龍彦、同徳住賢治、同大塚勝、同葉山水樹の上告理由について

所論の点に関する原審の認定判断は、原判決挙示の証拠関係及びその説示に照らし、正当として是認することができ、その過程に所論の違法はない。右違法があることを前提とする所論違憲の主張は、その前提を欠く。論旨は、ひっきょう、原審の専権に属する証拠の取捨判断、事実の認定を非難するか、又は独自の見解に基づき、若しくは原審の認定にそわない事実を前提として原判決を論難するものにすぎず、採用することができない。

よって、行政事件訴訟法七条、民訴法四〇一条、九五条、八九条に従い、裁判官全員一致の意見で、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 鹽野宜慶 裁判官 木下忠良 裁判官 大橋進 裁判官 牧圭次 裁判官 島谷六郎)

上告代理人の上告理由

第一点 上告人の本件年次有給休暇(以下、単に年休ともいう。)の時季指定に対する時季変更権行使を適法であるとした原判決の判示は、憲法二七条、同二五条に違反し、労働基準法三九条の解釈適用を誤まったものであるのみならず、右判示には、理由の不備ないし理由の齟齬および経験則ないし条理に違反するなどの違法な点があって破棄を免れない。

一、(原判決の要旨)

原判決は、上告人が昭和四四年七月一七日に同月二七日および二八日の両日を年休として時季指定したことに対して、新潟鉄道郵便局(以下、新鉄局という。)乗務課長らが、上告人が右両日に年休をとることは業務上の支障があって付与できないとして時季変更権を行使したことは適法であるとして、要旨、次のように判示した。

<1> 上告人が右両日に勤務を欠くと同月二七日の「直秋下り便」は定員を一名欠いて二名で、翌二八日の「直秋上り便」は同じく定員を一名欠いて三名で運行せざるを得なくなり、「一般的にはそれだけで『未処理』又は『一般事故』が発生するおそれがあるといえる。」

<2> 定員を欠いて運行される場合は、乗務員は未処理の発生を防止すべく定員を欠かない場合よりも、よりよく共助共援し作業能率の向上に努力するものとの前提に立って、年休を付与することは被上告人の立場上困難である。すなわち、定員三、四名の便が一名を欠いて運行されれば、取扱郵便物の数量が、定員算出の前提となった数量よりも著しく少い等の特別の事情のない限り、乗務したものが標準作業速度を九パーセント以上高めなければ、所要の作業を完了できない筋合であって、被上告人が乗務員にかような能率を期待することは相当でないからである。

<3> 本件「直秋下り便」「同上り便」とも、上告人の欠務にもかかわらず、「未処理」および「一般事故」発生の報告はなかったのであるから、真にこのような事故が生じなかったとすれば、本件年休の付与が事業の正常な運営を妨げる旨の被上告人の判断は生じた結果と異なることになるが、その判断の当否は、「判断当時の客観的情況に照らして合理的に予測される事実に準拠すべきものであって、事後に発生した結果に基づくべきものではない」。このような見地からすれば、昭和四八年ころ以降、欠員のまま運行される便が従前より増加したにもかかわらず、「未処理」が従前よりも増加しておらず、また乗務員から多忙等の苦情が出ていないとの事実があったとしても、昭和四四年当時と昭和四八年以降との、従業員の年令構成、健康状態、労働環境、作業能率、労使関係、職場秩序、当該便の定員、郵便物の数量、構成等について比較検討しうるような資料が十分でない本件において、昭和四八年以降の状況を基礎として、本件の前記二便について事業の正常な運営を妨げる旨の判断の当否を論ずることは適当ではない。

<4> このようにして、本件年休付与により、前記二便が定員を欠いて運行されることにより、「未処理」又は「一般事故」の発生を見る可能性があり、これを否定するに足るような特別事情は認められないのみならず、本件当時は夏期繁忙期であり、本件「直秋上り便」は繁忙便であって、一名の欠員でも「未処理」の発生を見た場合が多かったことに鑑みると、右可能性はいよいよ増大する。「未処理」が発生すれば、その事後処理のため、職員は多大の労力を費し、取扱郵便物の遅配を招くことが明らかであって、郵便事業の使命に照らせば、かような事態は事業の正常な運営とはとうてい言えない。

二、(年休制度の趣旨と時季変更権行使の要件)

(一)1 労働基準法三九条の定める年次有給休暇制度は、憲法二七条二項の休息に関する基準として設けられたものであることは明らかである。また、憲法二七条二項は、憲法二五条の「健康で文化的な最低限度の生活」を保障すべしとする生存権の理念を労働者について具体的に実現しようとする趣旨のものであることも明らかである。

労働基準法一条が「労働条件は、労働者が人たるに値する生活を営むための必要を充すべきものでなければならない」と定めているのも、同法が憲法二五条、同二七条の趣旨を具体的に保障しようとする目的に出たものであることを示している。

2 ところで、同法三九条に定められた年次有給休暇制度について、昭和四八年三月二日最高裁第二小法廷判決(白石営林署事件判決)(以下、三・二判決ともいう。)は、年休の権利は、同条一、二項の要件が充足されることによって当然に発生する権利であって、労働者の請求をまってはじめて生ずるものではなく、また、同条二項にいう「請求」とは休暇の「指定」にほかならないものと解すべきものであり、休暇の付与義務者たる使用者に要求されているのは「労働者がその権利として有する有給休暇を享受することを妨げてはならないという不作為を基本内容とする義務」にほかならず、休暇の時季指定の効果は、使用者の適法な時季変更権の行使を解除条件として発生するものであると判示した。すなわち、年休の権利は同条一、二項の要件を充足することによって当然に発生するものであり、労働者はこれを自由に取得できるのであって、使用者は、労働者の年休享受を妨げてはならないという義務を負うというのである。右判示は、年休についての使用者の義務を「不作為を基本的内容とする義務」と表現している。

3 しかし、年休権を憲法二七条二項の休息権を具体的に保障したものと解するかぎり、それは労働者が年休をとろうとしたときに使用者によって妨げられない権利という消極的な性質の権利にすぎないとは解することができないのである。なんとなれば、労働者が年休をとるとすれば、そのことによって多かれ少なかれ、業務の運営に支障の生ずることは避けられないのであるが、このように業務運営上に支障が生ずることが予測できるときに、労働者があえて年休をとり欠務することは、そのことにより使用者に生ずべき明示的あるいは、黙示的な反発を考えると極めて困難であり、かくしては、使用者が労働者の年休の享受を積極的に妨げる挙には出ていないとしても、実際には、労働者の弱い立場を反映して年休をとる労働者はいないという現実を生じ、結局は、年休権は画餅にしかすぎないということになるおそれが充分に考えられるからである。かくては、労働基準法が憲法二七条、同二五条の趣旨にそって年休制度を設けた趣旨は没却されてしまうこというまでもない。労働基準法が、単に労働者に労働条件の最低基準を保障するだけでなく、より積極的に労働者の労働条件の向上を図ることをもその目的とするものであることをも考えると(同法一条)、使用者は、労働者の年休享受を妨げてはならない義務を負うことはもとより、労働者が同条一、二項の要件を充足することによって発生した年休を原則としてその年度のうちに取得せしめる義務ないし取得するように配慮しなければならない義務というもっと積極的な行為義務をも負うものと解さなければならない。三・二判決は、右のように解することを否定する趣旨とはとうてい考えられない。

(二)1 同条三項但書は、労働者の年休の時季指定に対して、使用者は、「事業の正常な運営を妨げる場合」には、指定した時季に休暇をとることを拒むことができると定めている。すなわち、使用者は、時季変更権を有するのであるが、すでに述べたとおり、労働者が年休をとって欠務すれば多かれ少なかれ使用者の業務運営に支障が生ずることが避けられないことを考えると、時季変更権行使の実体的要件である「事業の正常な運営を妨げる場合」とは具体的にどのような場合をいうものと解するかは、その解釈いかんによっては、労働者の年休の時季指定は、容易に時季変更権の行使によって否認し得ることとなりかねないことを考えるときわめて重要な意味をもっている。

2 時季変更権行使の要件としては、これまで次のことが指摘されてきた。ひとつは、同条三項は、「事業の正常な運営を妨げる場合」と規定していて「業務の正常な運営を妨げる場合」とは規定されていないことであり、「事業」とは「業務」よりも広い概念であると解するのが一般であって、「事業の正常な運営を妨げる」とは、「企業またはその一部としての事業場において、ある特定の業務の正常な運営が一体として阻害されることをいう」(札幌地判昭和五〇年一一月二六日判例時報八〇一号三頁)などと説かれている。もうひとつは、時季変更権を行使できるのは「事業の正常な運営が妨げられる場合」であることである。この観点からは、労働者の年休に備えて必要な人員を配置していない場合にある労働者が年休をとることによって事業の運営に支障が生じても、労働者を年休がとれないような状態において労働させていること自体に問題があり、そのことによって事業の運営に支障が生じても、事業の「正常」な運営が妨げられたとはいえない、などと論じられてきた。しかし、それでは、具体的にどのような場合に時季変更権を行使できるのかということになるとその判断基準はすこぶる抽象的であり、あいまいである。「その企業の規模、有給休暇請求権者の職場における配置、その担当する作業の内容性質、作業の繁閑、代行者の配置の難易、時季を同じくして有給休暇を請求する者の人数等諸般の事情を考慮して制度の趣旨に反しないよう合理的に決すべきである」(大阪地判昭和三三年四月一〇日労民九巻二号二〇七頁)と説く判例があり、これに従うものも少なくないが、判断基準としてはあまりに抽象的にすぎ、時季変更権の行使の適否を判断するにあたって考慮すべき事項を列挙したにすぎないものと言うほかはない。しかも、これらの考慮事項の大部分は、使用者には判っていても、労働者には適確に知る由のない事項である。このように考慮事項を列挙されても、労働者としては、使用者による時季変更権の行使についてその適否を適確に判断することなどとうてい不可能である。結局、労働者は、時季変更権を行使されたときは懲戒処分の危険を冒さないかぎり、これに従う以外にはないこととなり、三・二判決が労働者は休暇の時季を指定できる旨判示したにもかかわらず、現実には、この判旨は、空文と化し、時季変更権の行使を通じて、労働者の年休権は、使用者の完全な統制下に置かれてしまうおそれが多分にあるのである。

3 それではどのような場合に時季変更権の行使が許されることになると解すべきか。このことを検討するについて、まず大前提として認めなければならないことは、労働者が年休をとって勤務しなければ、当然にその労働者が果すことを予定されていた業務はその労働者によってはなされないことになることになる(ママ)のであって、その意味では、多かれ少なかれ必然的に業務の運営に支障が生ずることになるということである。ところが、他方で、労働基準法は、同条一、二項の要件を充足した場合には、年休の権利は当然に発生するものと定めているだけでなく(三・二判決も、そのように解していることは前述した。)、使用者は、労働者がその年度中に年休を取得せしめる義務ないしそのように配慮する義務をも負っていると解すべきことは前述したとおりであるから、労働者が年休を消化することによって当然に生ずることが予想される業務運営上の支障をもって「事業の正常な運営を妨げる場合」に該るとすることは、法が労働者の年休権を最低労働基準として承認したことと矛盾することになり許されない。すなわち、法が労働者に対してその希望する時季に取得することのできるものとしての年休権を承認している以上、本来的には、労働者は、どの時季に年休をとるかの自由を有しているのであって、その権利の行使によって、事業の運営に何らかの支障が生じるとしても、使用者はこれを予想し甘受すべきものと解さなければならないのである。そうだとすれば、それにもかかわらず、他方で法が使用者に時季変更権を与えたのは、労働者がその希望する時季に年休をとることによって必然的に業務の運営に支障を生ずることは当然に予想し甘受すべきものとしても、労働者の多くが同じような時季を年休として時季指定した場合には、多くの労働者が同時に勤務を欠くことになり、そのために事業の運営に思わぬ重大な支障を生ずる場合があり、このような場合は、いかに権利の行使といえども、労働者の時季指定権の行使を妨げる権利を使用者に認めることが衡平の観念に合致すると考えられたからにほかならず、その他には、使用者に時季変更権を認める必要性も合理性も認められないのである。このように解するとすれば、使用者が時季変更権を行使できるのは、第一に、使用者にとって予期できぬほど多くの労働者が同一時季を休暇として指定した場合であり、第二に、そのことによって事業の正常な運営に支障を生ずる場合でなければならないことは当然であるとともに、この二つの要件はそれぞれ独立したものと解すべきである。

4 まず第一の要件についていうと、それでは実際にどの程度多くの労働者が同一時季を休暇として指定した場合に右第一の要件を充足したというべきかについて明確な判断基準を設けることは容易ではない。しかし、労働者はその希望する時季に年休を取得できるとする原則からすれば、相当多くの労働者が集中的に同一時季に休暇をとることも当然に予想される事態であるから、ある特定の日において休暇をとることを求めている労働者数が、当該事業所において全労働者が有する年休の日数の総合計を年間労働日で除することによって得られる一労働日あたりの平均年休取得労働者数を下廻っているような場合はいうまでもないが、これを大きく上廻わり、平均年休取得者数の数倍に及ぶような場合であっても、なお、時季変更権の行使は許されないと解さざるを得ない。なお、この点についての結論は、労働者の所属する事業所の全体を一括して判断の対象とするか、あるいは事業の部門あるいは内容ごとに区分して判断の対象とするかによって大きく異なってくるのでこの点に言及すると、判断の対象とする事業の範囲、規模が大きくなればなるほど労働者の指定する年休の時季は分散して平均化し、使用者によって予期できぬほど多数の労働者が同一時季を年休として指定しているとみなすべき事態が生じにくいと考えられるのに対して、判断の対象とする事業の範囲、規模を小さくすればするほど少数の労働者が同一時季を年休として指定しただけでも特定の日に時季指定が集中しているというべき事態が生じやすくなることになる。このことは、少人数で運営されている企業のことを考えれば容易に理解できることであろう。そうだとすると、特定の日に使用者にとって予期できないほど多数の労働者が年休の時季指定をしているかどうかの判断対象をどこに設定すべきかは、きわめて現実的で重要な意味をもつ問題であることになるが、事業所の全体を一括して判断の対象とすべきであり、事業の部門あるいは内容ごとに区分して判断の対象とすべきではない。なんとなれば、労働基準法は、就業規則の作成届出、時間外労働協定などの例が示すように同法を事業所単位に適用し運用していくという基本的政策をとっているといえるのであって、同法三九条三項が時季変更権行使の要件を「事業の正常な運営を妨げる場合」と定めたのも同法の右のような政策の表現であると解されるからである。このような立場をとると事業所の規模が大きくなればなるほど時季変更権を行使できる場合が少なくなることになるが、事業所の規模が大きいことは一般にそれだけ事業運営に融通性があることを意味するから、このように解しても、使用者にとって実際上の支障が生ずるとは考えられない。他方、小規模な事業所になればなるほど第一の要件を充足する場合が生じやすくなるが、半面、後述する第二の要件の適用上使用者の時季変更権の行使が許されないとされる場合が多くなると考えられるので、いずれの場合も妥当な結論を得やすいということができよう。さらに、その判断対象をひとつの事業所の事業の部門あるいは内容ごとに区別することとした場合には、どのように区分することが法の趣旨に適合することになるのかが、さらに論じられなければならないことになるが、明確な判断基準を設けることが不可能であることは明らかであり、かくては、労働者にとっては時季変更権行使の要件を充足しているかどうかの判断は依然として容易ではないことに変わりはないことになることも考慮されるべきだからである。なお、右に述べた趣旨からすれば、事業の性質、内容、年休の時季指定をした労働者が担当している業務の性質、内容などは、第一の要件の充足性を判断するにあたっては、考慮の外に置くべきものであることはいうまでもない。

事業や労働者の担当している業務の性質内容がいかなるものであれ労働者の年休の権利の内容を別異に解すべきでないこと当然だからである。右のような考慮のもとにおいて第一の要件を充足していると判断された場合にはじめて、第二の要件として、そのように多くの労働者が同一時季を年休として欠務することによって事業の正常な運営が妨げられることになるかどうかが問題となると解すべきである。すなわち、第一の要件が充足されているといえない場合には、労働者が年休をとることによって事業の運営にどのような支障が生じようとも時季変更権の行使は許されないと解すべきものなのである。

5 第二の要件である事業の正常な運営が妨げられる場合であるかどうかを判断するにあたっては、事業の性質、内容、同一時季を休暇として指定した労働者の担当する業務の性質、内容、代行者の配置の難易など諸般の事情を総合的に考慮するほかはないことは、前記大阪地裁判決の判示するとおりである。また、この場合、事業の運営に支障が生ずるとは、年休をとって欠務する労働者の担当業務に支障が生ずることを意味するものではなく、企業のなす事業全体の運営に支障が生ずる場合のことと解すべきであること、およびただ単に事業の運営に支障が生ずれば第二の要件を充足したことになるわけではなく、事業の正常な運営に支障が生ずる場合にはじめて時季変更権を行使しうるものであることは、従来、説かれてきたとおりである。

三、(時季変更権の行使を適法とする原判決の判示について)

(一) 労働基準法三九条に定められた年休権の趣旨および時季変更権行使の要件については、前記第二項に述べたとおりであるが、これを前提として本件時季変更権の行使を適法とした原判決の判示をみるに以下の点に違法があり、破棄を免れない。

(二)1 原判決が、上告人が本件年休をとることは「事業の正常な運営を妨げる場合」に該ると判断した積極的理由として判示しているのは、上告人が年休をとった場合には、「直秋下り便」は定員を一名欠いて二名で、「直秋上り便」は定員を一名欠いて三名で運行せざるを得なくなるところ、それだけで、「未処理」又は「一般事故」が発生するおそれがあり、定員を欠いて運行される場合には、「未処理」の発生を防止するためには取扱郵便物の数量が著しく少ない等の特別の事情がない限り、乗務員が標準作業速度を大幅に引上げなければならないが、乗務員にこのような能率を期待することは相当でない、ということであり、それのみである。

しかし、さきに指摘したとおり、時季変更権を行使できるのは、使用者にとって予期できないほど多数の労働者が同一時季を年休として時季指定したことにより使用者の事業運営に支障が生ずる場合であると解すべきであるから、本件の時季変更権行使の適法性を判断するにあたっては、まず何よりも、上告人が年休として指定した昭和四四年七月二七日、二八日の両日について上告人の所属する事業所である新鉄局において使用者が予期できぬほど多数の労働者が年休として時季指定したといえるのかが検討されるべきである。

2 原判決が確定した事実によると、本件当時新鉄局乗務課に配置されていた乗務員は一四九名であり、同月二七日を年休の希望日として申出たものは、一七名であったが、このうち三名について年休を付与することとし上告人を含む他のものについては時季変更権を行使する旨意思表示したというのである。時季変更権を行使されたもののうち上告人以外の一三名は右意思表示に対していかなる態度をとったのかについては、原判決はとくに説示するところはないが、同日の直前に至りそのうちの二名に対して時季変更権行使の意思表示を撤回して年休を付与したことは原判決の認定するところであるし、その余のものは、結局、年休請求の意思を撤回したものとして処理されたことは証拠上明らかである(原審における円山富男の証言)。

右の事実によれば、結局、同日を年休として最後まで希望したものは、直ちに年休の付与された三名、同日の直前に付与された二名および上告人の計六名にしかすぎないことになるが、一四九名もの多数の労働者のなかから六名が同一の時季を年休として指定することのあり得ることは、使用者としては当然に予期すべき事態であることは明らかである。なんとなれば、当該年度に同課職員が取得することのできる年休の総日数については確実な証拠は存在しないが郵政省と全逓信労働組合間の労働協約である「年次有給休暇に関する協約」(乙第二号の一、二)によれば職員は勤務年数にかかわりなく毎年度一律二〇日の年休を付与されることになっているから、新鉄局同課全体としては総日数は約三、〇〇〇日となるから日曜日、祝日を除いた年間労働日を約三〇〇日とすると、平均すれば一労働日あたり一〇日すなわち一〇人に年休を付与しないと年休の完全消化はできないことになる。しかも、職員が全労働日に平均的に分散して年休を希望することはとうてい期待できないから、特定の日には、その数倍に及ぶ職員に年休を付与しないかぎり完全消化はできないこと明らかである。そうだとすると、同日を時季指定した一七名全員について年休を付与して当然であり、まして最後まで年休付与を希望した上告人を含む六名全員に対して年休を付与することは、一労働日あたりの平均年休取得日数を大きく下廻っていることからすれば、使用者にとって当然の履行というべきであって、かかる場合にさえ時季変更権の行使を認めるとすれば労働者はその希望する時季に年休を取得できるとの法の趣旨は実現できなくなること明らかであるから、本件の場合には、そもそも時季変更権を行使することのできる場合には該当しないといわなければならないのである。しかるに原判決は、この点に思いを至すことなく、被上告人の時季変更権の行使を適法との判断を示しているのであるから、かかる原判決の判示は、それ自体、憲法二七条、同二五条に違背したものであるとともに労働基準法三九条三項の解釈適用を誤まったものといわなければならないのである。

3 次に、原判決が定員を一名欠いて鉄道郵便車を運行すれば、一般的にはそれだけで「未処理」又は「一般事故」が発生するおそれがあるといえるとして、このような場合には、「事業の正常な運営を妨げる場合」に該ると判示した点は、以下の点において違法である。

まず、第一に、原判決が定員を一名欠いて運行すれば、それだけで「未処理」又は「一般事故」が発生するおそれがあるといえるとしている点であるが、ここでいう「おそれ」とはもとより具体的可能性があるとするものと解されるところ、昭和四八年ころ以後には鉄道郵便車が定員を欠いたまま運行されることも少なくなかったが、さしたる「未処理」又は「一般事故」が発生した事実はないことは原判決も認定しているところであるほか、関係証拠をみてもそのような具体的可能性のあることについてはこれを証するに足る証拠はないのである。なお、この点に関連して以下のことを付言する。すなわち、原判決は、同年七月二七日を月曜日と認定しているところ、実際は当日は日曜日である(このことは、裁判所に顕著な事実である。)。日曜日は一般的に取扱郵便物数は他の曜日と比較して少ないし、月曜日も同様であることは証拠上明らかであるから(乙第二八、二九号証)、右の点はいよいよ明らかである。すなわち原判決の右判示には、この点に、理由不備ないし理由齟齬があり、かつ、充分な証拠なしに右認定をなしたという採証法則の違背があるといわなければならない。

第二に、「未処理」又は「一般事故」発生のおそれがあるからといって、そのことだけで「事業の正常な運営を妨げる場合」に該当するとすることは、前記第二項において述べた時季変更権行使の要件に徴し、とうてい認め難い。「未処理」又は「一般事故」発生のおそれによって時季変更権の行使が認められるとすれば、年休自由取得の原則は否定されたに等しい。原判決の右判示は、憲法二七条、同二五条に違背し、かつ、労働基準法三九条三項の解釈適用を誤まったものといわなければならない。

(三) 原判決は、本件時季変更権の行使を適法と判断する理由の第二点として、被上告人は、定員を欠いて運行される便において乗務員が作業能率の向上に努力するものとの前提に立つことはその立場上困難であり、定員を欠いて運行される場合に「未処理」の発生を防止するためには、乗務員は標準作業速度を大幅に引上げなければならないことをその理由として挙示する。しかし、右判示部分は、一般論としてはともかく同月二七日の「直秋下り便」の場合および翌二八日の「直秋上り便」の場合には、妥当しないものであることは、関係証拠上認められるところであるから、原判決の右認定には採証法則を誤まった違法がある。また、原判決は、右認定事実を時季変更権行使を適法と解する理由のひとつとしているのであるが、右認定事実は採証法則を誤まったものであるのに、そのような誤まった認定事実を労働基準法三九条三項の解釈適用にあたって斟酌することにより、同条同項但書の解釈適用をも誤まった違法がある。

(四)1 原判決は、本件時季変更権の行使を適法と判断した理由の第三点として、本件「直秋下り便」、「同上り便」とも、上告人の欠務にもかかわらず、「未処理」および「一般事故」発生の報告はなかったのであるから、真にこのような事故が生じなかったとすれば、上告人に休暇を付与することが「事業の正常な運営を妨げる」旨の被上告人の判断は、生じた結果と異なることになるが、その判断の当否は「判断当時の客観的情況に照らして合理的に予測される事実に準拠すべき」であるとし、さらにこの観点からすれば、昭和四八年ころ以降欠員のまま運行される便が増加したにもかかわらず、「未処理」は従前より増加しておらず、乗務員から多忙等の苦情は出ていないとの事実があっても、このことをもって本件被上告人の判断の当否を論ずることも適当でないと判示した。

2 休暇を付与することが「事業の正常な運営を妨げる」かどうかの判断は、休暇希望日よりも前になさなければならないものである以上、その当否を事後的に審査するにあたっては「判断当時の客観的情況に照らして合理的に予測される事実に準拠すべきである」との原判決の判示は是認できるが、本件の具体的事実関係のもとにおいては、現実には何ら事業の運営に支障を生じなかったということは、被上告人の判断が、結果的に誤っていたということを意味するだけでなく、同課長らの判断が、「判断当時の客観的情況に照らして合理的に予測される事実」に準拠した場合においても誤まったものであったことをも意味するものといわなければならない。なんとなれば、新鉄局における鉄道郵便業務の運行状況に精通していた(あるいは精通しているはずの)同課長らが、「直秋下り便」、「同上り便」のいずれについても、もしそれが定員を欠いて運行した場合には業務運行上具体的にどのような支障が生ずるかを本件時季変更権行使の時点で正しく予測して判断することが充分に可能であっただけでなく、きわめて容易なことであったと関係証拠上明らかに認められるうえ、本件の場合には、事前の判断を誤らせるような事実が事後的に生じたため、結果的に判断を誤ったというような事情のないことが、被上告人の主張するところによっても、また関係証拠を検討してみてもそのような事実の発生を窺わせるものが見当らないことによっても明らかだからである。すなわち、同課長らは、当時の客観的情況を冷静に判断しさえすれば現実には上告人に休暇を付与しても業務運行上さしたる支障の生じないことは容易に予測し得たものと認められるばかりでなく、関係証拠によれば、現実には、同課長らは右の結果を予測していたか、すくなくとも予測できたにもかかわらず、定員を欠いて運行することそれ自体が時季変更権を行使すべき業務上の支障にあたるとの固定観念から、定員を欠いて運行した場合に生ずべき業務上の支障を具体的に検討せずに業務上の支障あるものとして時季変更権を行使したものと認められるのである。しかるに原判決は、証拠上明らかに認められる右事実を無視しただけでなく、現実に業務上支障が生じなかったという事実が条理上ないし経験則上もつ意味をことさらに軽視して、このことを時季変更権行使の適法性判断にあたって考慮することをしなかったのであるから、原判決には、この点において理由不備ないし理由齟齬および経験則ないし条理に違反した違法があるといわなければならない。

3 また、昭和四八年ころ以降、欠員のまま運行された便において業務運行上どのような支障が生じているかは、本件両便における欠員の事実が業務運行上どのような意味をもつかを推認せしめる重要な間接事実たりうることはいうまでもないところであるのに、原判決は、右事実をもって被上告人の判断の当否を論ずることは適当でないとして、このことをも時季変更権行使の適法性判断にあたって考慮することをしなかったのであるから、原判決には、この点においても理由不備ないし理由齟齬および経験則ないし条理に違反した違法があるといわなければならない。

(五)1 原判決は、さらに、右三点の理由に加えて、本件当時は夏期繁忙期であり、本件「直秋上り便」は繁忙便であって、一名の欠員でも「未処理」の発生を見たことが多かったと認められ、未処理が発生すると職員は多大の労力を費し、郵便物の遅配をも招くことになるので「郵便事業の使命」にてらせばこのような事態は事業の正常な運営とはとうてい言えない、と判示する。

2 しかし、右判示のうち、本件「直秋下り便」が繁忙便であるとの点および一名の欠員でも「未処理」の発生を見たことが多かったとの点は、関係証拠上これを認定するに足る証拠はない。また、原判決は、同月二七日が日曜日であり、本件両便とも他の曜日と比較して取扱郵便物が少ないのに、同日を月曜日と誤認したことにより、本件「直秋下り便」が繁忙便であると認定している。

かかる原判決の右判示には、右の点において理由不備ないし理由齟齬の違法があるといわなければならない。

3 次に原判決は、「未処理」が発生すれば、取扱郵便物の遅配を招くこととなり、このような事態は「郵便事業の使命」に照らして事業の正常な運営とはとうてい言えないと判示しているのであるが、年休権は、労働者に対して労働者であるが故に認められるものであって、その従事する事業ないし業務がどのようなものであるかによって権利の内容、性質に差異が生ずるものではあり得ない。いかなる事業あるいは業務に従事していても、同法三九条一、二項の要件を充足しさえすれば、年休権は当然に発生するのである。年休権がこのような性質のものであるとするならば、時季変更権行使の要件たる年休を付与することが「事業の正常な運営を妨げる場合」に該当するかどうかの判断にあたっても、労働者が年休をとることが使用者にどのような業務上の支障を及ぼすかを具体的に検討すれば足りると解され、使用者の行う事業の性質が公共性を有するかどうかというようなことによって、「事業の正常な運営を妨げる場合」に該るかどうかの判断が左右されるべきものとはとうてい解されないのである。郵便事業に従事する公務員たる郵政職員に対しても労働基準法を適用することとした以上このことは当然のことであるから、原判決にはこの点において理由齟齬ないし理由不備の違法があるとともに労働基準法三九条但書の適用上考慮すべきでない事実を考慮することによって、その解釈適用を誤まった違法があるといわなければならない。

(六) 以上要するに、上告人の本件休暇請求に対する使用者の時季変更権の行使は労働基準法三九条但書の要件を充足していたとの原判決の判示は、憲法二七条、同二五条に違背し、労働基準法三九条三項の解釈を誤まったうえに、時季変更権行使の適否を判断するにあたって、斟酌すべき証拠上明らかな事実を無視する一方、斟酌すべきでない事実を考慮しただけでなく、右適否を判断するための基礎たる事実の認定をなすにあたり経験則上ないし条理に違反する違法を犯したことなどにより同条同項の適用をも誤まったうえ、理由不備ないし理由齟齬にわたる点もあり、破棄を免れないといわなければならない。

四、(時季変更権の行使が権利濫用に該らないとする原判決の判示について)

1 原判決は、本件当時、新鉄局においては、「各乗務員は年間平均年休二〇日以上を付与されていたが、年休希望者の多い時期に、希望日どおり年休を取得しようとすれば、かなり早目に年休を請求しなければならないような情況であった」と認定しながら、「このような事情のもとでは控訴人のした本件時季変更権の行使が権利の濫用になり、効力を生じないとまでは断定できない」と判示した。

2 しかし、すでに述べたとおり、年休は労働者の請求する時季に与えなければならないとされている以上、使用者は、労働者をして年休を取得せしむる義務ないしは取得するように配慮しなければならない義務を負うものと解すべきであるところ、そもそも、年休希望者の多い時期に希望日どおり年休を取得しようとすればかなり早目に年休を請求しなければならないという原判決の認定するような事態が生じていたことは、そのことだけをとってみても、労働者の希望する時季に年休を取得することが容易でない状況にあったことを意味するのであるから、一方で右事実を認定しながら、右認定事実だけを理由に時季変更権の行使が権利の濫用にわたらないと判示した点には、明らかに理由齟齬ないし理由不備の違法があるといわなければならない。

3 また、最後まで年休を希望したものが一労働日あたりの平均年休取得日数を大きく下廻っていたこと、具体的に検討すれば、上告人に年休を付与してもさしたる業務上の支障の生じないことが明らかであったこと、さらには、当時新鉄局においては年休の取得が極端に困難であったことが関係証拠上明らかであったと認められることなどの諸事情を考慮すると本件時季変更権の行使は権利の濫用にわたるというべきであり、これを否定する原判決の判断はこの点において労働基準法三九条三項および権利濫用の法理の解釈適用を誤ったものといわなければならない。

五、(上告人に対する時季変更権の行使が差別的取扱いにあたらないとの原判決の判示について)

(一)1 原判決は、「労働者からの年休請求が競合し、使用者がそのいずれもの一部について適法に時季変更権を行使し得る場合、いずれの請求について右権利を行使するかは、労働協約等に格別の定めのない場合、違法な差別的取り扱い又は権利の濫用にわたらない限り、使用者の裁量に属するとされるところ、本件においてかような事由があると認めるに足る証拠はない」と判示した。

2 すなわち、原判決は、競合する請求のいずれもの一部について適法に時季変更権を行使できる場合を想定してその場合の使用者の裁量をいうのであるが、請求が競合すること自体、その一部について時季変更権の行使を適法化するのであるから、競合する請求のいずれもの一部について適法に時季変更権を行使しうるような場合を設定することは自己矛盾であり、生じ得ない事態であるといわなければならない。年休請求が競合し、請求者の全員にこれを付与するときは事業の正常な運営を妨げるが、一部のものになら付与できるという場合は、時季変更権を行使すべき請求を法の趣旨に適合するように選別すべきが当然である。すなわち、競合する請求のなかにも「事業の正常な運営を妨げる」こととなるものとそうでないものとがあり、これに該当する請求に対する時季変更権の行使のみが適法であると解すべきものであり、使用者が競合するどの請求について時季変更権を行使するかというような問題はあり得ないというべきであるから、原判決は、この点において理由齟齬ないし理由不備ならびに労働基準法三九条三項の解釈適用を誤った違法があるといわなければならない。

第二点 原判決は、上告人の年休請求に対する被上告人による時季変更権の行使は適法であったと解すべきであるから上告人は勤務すべき義務を負っていたものであるところ、上告人がこれを怠り欠乗した行為は、国公法九八条一項、一〇一条一項一段に違反し、同法八二条一、二号所定の懲戒事由に該当するから、上告人に対する本件懲戒処分は適法であり、裁量権の濫用があるとは認められない旨判示したが、原判決の右判示は、以下述べるとおり国公法九八条一項、一〇一条一項一段および懲戒権濫用の法理の解釈適用を誤まったものであり、破棄を免れない。

1 原判決は、上告人の行為は、国公法九八条一項、一〇一条一項一段に該当すると判示するが、右判示は誤まりである。

すなわち、上告人の行為とは、その権利の行使として年休の時季を指定したところ、被上告人において時季変更権を行使したが上告人がこれに応じないで欠務したことをいうのであるが、上告人の右行為はすでに発生している権利を行使しようとしたものであるから公務員秩序を乱したものとは言えず、同法九八条一項、同法一〇一条一項一段のいずれにも該当しないというべきであるから、原判決はこれらの法条の解釈適用を誤まったものというべきである。

2 次に原判決は、本件懲戒処分は懲戒権の濫用には該らない旨判示したが、右判示は誤まりといわなければならない。

すなわち、上告人が使用者の時季変更権行使に応じないで欠務したことを理由として懲戒処分をすることには次のような問題があるからである。

その第一は、上告人の年休請求はすでに発生している年休の権利を行使する時季を指定したものにすぎないのに対して、被上告人の時季変更権の行使は、もっぱら使用者の事情を理由にして上告人の権利行使を阻もうとする性質のものであるから、上告人がこれに応ぜず欠務したとしてもいずれは行使される権利であることからすれば、上告人の義務違反は形式的なものにすぎないとも言えるのであり、これに対する非難にはおのずから限界がなければならないといわなければならないことである。

第二には、前述したとおり、年休は労働者が希望した時季に与えられるべき権利であるのに、時季変更権が適法に行使された場合にはその権利行使は阻まれることになるが、使用者による時季変更権の行使が適法であるかどうかを労働者が適確に判断することは、その適否を判断するために考慮すべき事項のほとんどすべてが使用者側の事情であって労働者には知る由のないものであるという事情ともあいまって、ほとんど不可能であることからすると、労働者が時季変更権の行使を適法なものと認めず、欠務した場合に常に一方的に懲戒処分の対象とされたのでは、事後的に救済の方途は開けているとはいえ、労働者は懲戒処分をおそれて、時季変更権が行使されたときは、その適否を論ずるまでもなく、これに従うほかないこととなり、ひいては、年休権の行使それ自体の行使が困難となるおそれがあることである。

第三には、本件の具体的事実関係に徴すると上告人が時季変更権の行使に承服できなかったことには、やむを得なかった事情があるというべきだからである。

以上の事情のもとにおいては、本件懲戒処分は懲戒権の濫用に該ると解すべきものであり、これを否定した原判決の判示には懲戒権濫用の法理の解釈適用を誤った違法があるというべきである。

以上

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